倚松庵(いしょうあん)は、兵庫県神戸市東灘区に建つ歴史的建造物。文豪谷崎潤一郎の旧居。ここで執筆された代表作にちなんで「『細雪』の家」とも呼ばれる。庵号は夫人の名前「松子」に因む。1929年(昭和4年)に当時の武庫郡住吉村反高林1876-203に建てられた和風木造建築で、谷崎潤一郎は1936年11月から1943年11月まで居住した。なお、谷崎が居住した時期の家主は極東選手権競技大会サッカー日本代表の後藤靱雄であった。1986年に、倚松庵が所在する住吉川畔に神戸新交通六甲アイランド線の橋脚建設計画が持ち上がると、専門家から計画敷地の脆弱性の指摘があったほか、美しい景観が破壊されるとして住民訴訟が行われたが、1990年(平成2年)に神戸市は建設を強行し、倚松庵は同じ東灘区内の現在地に移築された。これにより倚松庵周辺の景観は本来とは違うものになったが、5年後に兵庫県南部地震が起こり、専門家の指摘どおりアイランド線の橋脚は損壊したが、移築していた倚松庵は損壊を免れた。「倚松庵」と呼ばれる家は6軒あったが、一般的に「倚松庵」といえば、谷崎の居住期間の長さからこの旧居を指す。