亀ヶ谷坂 (かめがやつさか)は鎌倉七口のひとつ。現在の鎌倉市山ノ内から扇ガ谷を結ぶ坂道。別名、亀返坂(急坂のため亀も引き返した、ひっくり返った)と。江戸時代初期の『玉舟和尚鎌倉記』では「亀ヶ井坂」、徳川光圀が命じて編纂させた1685年の『新編鎌倉志』以降は「亀ヶ谷坂」と書かれている。ただし、鎌倉時代にこの位置に道があった確実な証拠はない。一般に流布している1240年に北条泰時が開削したとの節は、吾妻鏡の1240年 (仁治元年)10月10日および19日の条に依拠しているが、そこに書かれているのは「山内の道路を造らるべきの由その沙汰有り」であり、道筋はここ亀ヶ谷坂、そして巨福呂坂のどちらもが考えられる。また『鎌倉市史(総説編)』の高柳光寿は現在の横須賀線の西側の谷、を越えたのではないかとの説も控え目ながら出している。そのどちらかはともかく、遅くとも鎌倉時代後期までには、現在の位置に道(切通し)があった状況証拠を確認することができる。1969年(昭和44年)6月5日、国の史跡に指定された。