ワインコフホテル火災(Winecoff Hotel fire、わいんこふほてるかさい)は、1946年12月7日に、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタのホテルで発生した火災である。本件は、アメリカ合衆国史上、最も多くの死者が出たホテル火災であり、ホテル所有者らを含むホテル宿泊者119名が死亡した。現場となったワインコフ・ホテルは、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタのダウンタウンのピーチストリート176番地(176 Peachtree Street)に位置し、「火災に強い」("absolutely fireproof")と宣伝されていた。ホテルは鉄骨構造で火災に強かったものの、ホテルの内装が燃えやすい素材でできていたことや、15階建てだったにもかかわらず出入り口は1つの階段で賄っていた。3階の火元よりも上の宿泊者全員が閉じ込められ、火災の生存者らは、上階の複数の窓から救助されるか、消防士らが持っている網の中に跳び込んだ。この火災では飛び降りて死亡した犠牲者の数の多さに注目が集まり、1人の生存者が落下する様子をとらえた1枚の写真が、1947年のピューリッツァー賞写真部門を勝ち得た。本件よりも前に発生した1946年6月5日のシカゴでのラ・サル・ホテル(La Salle Hotel)火災(死者61名)、および1946年6月19日のアイオワ州ダビュークでのキャンフィールド・ホテル(Canfield Hotel)火災(死者19名)と合わせ、複数の脱出手段や、自動で閉まる耐火扉の重要性のに注目が集まり、北アメリカにおける建築規則が改定されるきっかけとなった。