慶熙宮(キョンヒグン、けいききゅう、경희궁、Gyeonghuigung)は、現在の大韓民国ソウル特別市にある李氏朝鮮時代の宮殿。光海君8年(1616年)に建立された。ソウルにある5大宮殿の中で西側に位置して西闕とも呼ばれ、塞門安大闕、塞門洞大闕、アジュゲ(아주개)大闕ともいった。朝鮮の離宮として慶運宮(徳寿宮)と虹橋で繋がっていた。李氏朝鮮後期には第2の宮殿とされ、非常時に王が移る場所とされた。大韓民国の史跡第271号に指定。100以上の建物があったが、日本占領時代にほぼ完全に破壊され更地となった。跡地に日本人学校の京城中学校が建てられた。解放後にソウル高等学校となった。1980年ソウル高等学校の瑞草区への移転以後、ソウル市立美術館として使用されたが、再び建物を取り壊し慶熙宮を復元した。ソウル高等学校の別称と慶熙大学校の名称はここに由来する。かつての宮殿敷地はより広大だったが現在は狭くなっており、跡地の一部にはソウル歴史博物館、ソウル市教育庁、ソウル福祉財団、大韓サッカー協会、救世軍会館など政府や民間の様々なビルが建つ。2013年にソウル市と鍾路区庁は総合整備基本計画を定めており、慶熙宮のさらなる復元を段階的に進めることになっている。周囲の土地の買収、興化門の元の位置への移動、ソウル市立慶熙宮美術館(1994年に建てられた「ソウル遷都600年記念館」を転用したもの)の撤去、防空壕の撤去と移転などが含まれる。