ベルサイユ鉄道事故(英: Versailles rail accident)とは、1842年5月8日にベルサイユとパリを結ぶ鉄道のムードン駅 - ベルビュー駅間の切通しで発生した鉄道事故である。ヴェルサイユ宮殿で開かれたルイ=フィリップ1世の祝賀会の後、パリ行きの列車が先頭機関車の車軸の破損により脱線し、後続の客車が次々とそれに乗り上げ火災が発生した。この事故はフランスで初の鉄道事故であり、52人〜200人が死亡するという当時としては世界で死者数が最多の事故である。死者の中にはジュール・デュモン・デュルヴィルが含まれていた。この事故は乗客を客車に閉じ込めて輸送するというフランスの慣習を廃止する契機となった。当時金属疲労はあまり知られておらず、この事故はその問題に対する系統的な研究の始まりにつながった。