コルベルク包囲戦(コルベルクほういせん、英語: Siege of Kolberg)は七年戦争中に3度おきた、主にロシア軍によるプロイセン領ポンメルン州のコルベルク(現ポーランド領コウォブジェク)の包囲。1759年10月の第一次包囲と1760年8月から9月にかけての第二次包囲は失敗したが、1761年8月から12月にかけての第三次包囲は成功した。第二次と第三次包囲ではスウェーデンの援軍も包囲に参加した。コルベルク陥落の結果、プロイセンはバルト海岸にある主要な港を全て失った一方、ロシア軍はポンメルンで冬営することができた。しかし、ロシアの勝利から数週間後、皇帝のエリザヴェータが死去、後継者のピョートル3世は講和してコルベルクをプロイセンに返還した。