ルート ポルトガル リスボン地域リスボン
テージョでベレンまで自転車で戻る

リスボン, リスボン地域, ポルトガル

テージョでベレンまで自転車で戻る

長さ16.7 km
高さの変化45 m
ステップ24000

道路

作成者: Susanne.Bergermann
ルート詳細
「テージョでベレンまで自転車で戻る」はリスボン, リスボン地域, ポルトガル周辺にある16.7 km(24,000歩)のルートです。このルートの獲得標高はおよそ45 mで、難易度は普通とされています。これに似たルートはPacerアプリからご覧ください。
Super Radweg am Tejo entlang mit Aussicht

カルモ修道院

場所
カルモ修道院(Convento da Ordem do Carmo)は、ポルトガル・リスボンにある中世につくられた修道院。1755年のリスボン地震後、再建されず廃墟となった。崩壊したゴシック様式の教会「カルモ教会」(Igreja do Carmo)は、大地震の爪痕である。カルモ修道院は、ロシオ広場を眺める丘の上、シアード地区にある。サン・ジョルジェ城に面する。前には静かなカルモ広場があり、サンタ・ジュスタのリフトと非常に近い。現在、カルモ教会の廃墟はカルモ建築博物館として利用されている。

サンタ・ジュスタのリフト

場所
サンタ・ジュスタのリフト (Elevador de Santa Justa)は、ポルトガル・リスボンのカルモ通りにあるリフト(エレベーター)。通称「カルモのリフト」(Elevador do Carmo)。カルモ広場の登り坂で、バイシャ・ポンバリーナの通りとつなぐ。リスボンの観光名所の一つ。サンタ・ジュスタのリフトを設計したのは、フランス系でオポルト生まれのエンジニア、ラウル・メスニエル・デ・ポンサルドである。建設は1900年に始まり1902年に終わった。リフトは高さ45メートルあり鉄製である。ポルトガルではこの建築様式の典型である。金属構造は隣のジュングエイラにある会社で組み立てられた。どの階も、異なるパターンのゴシック・リヴァイヴァル建築様式で装飾されている。最上階はらせん面体のはしご段で上る。テラスからはサン・ジョルジェ城、ロシオ広場、隣のバイシャ・ポンバリーナ地区の素晴らしい眺めが楽しめる。2つのエレベーター・ブースがある。どちらも内装は木製で、1台におよそ24人が乗れる。リスボンにある都市リフトの中で、サンタ・ジュスタは唯一縦型で垂直に立つ。他のものはリスボンの急勾配を上るためのケーブル式である。サンタ・ジュスタ・リフトの外観から、多くの人がギュスターヴ・エッフェルが建てたと勘違いしている。

発見のモニュメント

場所
発見のモニュメント(はっけんのモニュメント、Padrão dos Descobrimentos)は、ポルトガル・リスボン市西部ベレン地区のテージョ川岸にある大航海時代を記念した記念碑。ポルトガル語では「パドラオン・ドス・デスコブリメントス」という。

ベレンの塔

場所
ベレンの塔はリスボンのベレン地区にある塔で、「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」の構成資産として世界遺産リストに登録されている。16世紀にマヌエル1世によってヴァスコ・ダ・ガマの世界一周の偉業を記念して作られたテージョ川の船の出入りを監視する目的の要塞である。建築様式はマヌエル様式である。

ジェロニモス修道院

場所
ジェロニモス修道院(葡: Mosteiro dos Jerónimos)は、ポルトガルの首都リスボンのベレン地区にある修道院であり、世界遺産「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」の構成資産のひとつである。マヌエル様式の最高傑作ともいわれ、大航海時代の富をつぎ込んで建築された。付近には同じく世界遺産であるベレンの塔や発見のモニュメントが存在する。2007年12月13日に、リスボン条約の調印式が行われた場所でもある。

サン・カルルシュ国立劇場

場所
サン・カルルシュ国立劇場 (Teatro Nacional de São Carlos)は、ポルトガル・リスボンにあるオペラハウス。1755年のリスボン地震で崩壊したテージョ・オペラ・ハウスの替わりとして、マリア1世治下の1793年7月30日に開演した。劇場は、リスボン市の歴史的中心地シアード地区にある。1792年、リスボンの商工関係者のグループが、市の新たなオペラハウス建設へ資金援助することを決めた。劇場は、ポルトガル人建築家ジョゼ・ダ・コスタ・エ・シルヴァの設計によるネオクラシカル様式とロココの要素を持つ建物としてわずか6ヶ月の工期で完成した。全体の計画は、ナポリのサン・カルロ劇場(内装)、ミラノのスカラ座(内装とファサード)といった偉大なイタリアの劇場に明らかに触発されていた。

リスボン

場所
リスボン(ポルトガル語: Lisboa IPA: [ɫiʒˈboɐ] ( 音声ファイル)、[liʒˈβoɐ] リジュボア、英語: Lisbon IPA: [ˈlɪzbən])は、ポルトガルの首都で同国最大の都市である。市域人口は54万7,631人を擁し、市域面積は84.8平方キロメートル(33平方マイル)に過ぎないが、そのぶん高い人口密度を保持している。リスボンの都市的地域は行政区としての市域を越えて広がっており、人口は300万人を超え、面積は958平方キロメートル(370平方マイル)を占めており、欧州連合域内では11番目に大きな都市圏 (en) を形成している。約303万5,000人 の人々がリスボン都市圏に暮らし、ポルトガルの全人口の約27パーセントを占めている。リスボンはヨーロッパの大都市ではもっとも西にある都市であると同時に、ヨーロッパの中でもっとも西側に位置する政府首都でもある。ヨーロッパ諸国の首都のなかで唯一の大西洋岸にあるリスボンは、イベリア半島の西側、テージョ川の河畔に位置している。リスボンは金融や商業、出版、娯楽、芸術、貿易、教育、観光といったさまざまな分野で重要な都市であることから、世界都市とみなされている。ポルテラ空港は2012年に1,530万人の旅客を扱い、高速道路(Auto-estrada)や高速列車アルファ・ペンドゥラールによりポルトガルのほかの主要都市と結ばれている。南ヨーロッパではイスタンブール、ローマ、バルセロナ、マドリード、アテネ、ミラノに次いで7番目に多くの観光客が訪れる都市で、2009年には174万人の観光客が訪れた。リスボンの総所得は世界の都市で32番目に高い位置を占めている 。ポルトガルの多国籍企業の本社はほとんどがリスボン地域に置かれており、世界では9番目に多くの国際会議が開かれる都市でもある。また、ポルトガルの政治の中心でポルトガル政府の首府やポルトガルの大統領官邸が置かれているほか、リスボン地域やリスボン県の中心でもある。世界的にも古い歴史がある都市の一つで、西ヨーロッパでは最古の都市であり、現代のヨーロッパのほかの首都であるロンドンやパリ、ローマなどよりも数百年さかのぼる。ガイウス・ユリウス・カエサルはフェリキタス・ユリア(Felicitas Julia)と呼ばれるムニキピウムを創建し、オリピソ(Olissipo)の名に加えた。5世紀から一連のゲルマン人部族により支配され、8世紀にはムーア人により攻略された。1147年、ポルトガル王国の建国者アフォンソ1世下のレコンキスタでのリスボン攻防戦で、ポルトガルはムーア人からリスボンを奪回する。以来、リスボンはポルトガルの主要な政治、経済、文化の中心となっている。ほとんどの首都と異なり、リスボンのポルトガルの首都としての地位は法令や書面の形式では公式に認められたり確認されたりしていない。首都としての地位は憲法制定会議を通じて事実上の首都としてポルトガルの憲法に定められている。リスボンには欧州薬物・薬物依存監視センター(EMCDDA)と欧州海上保安機関(EMSA)の2つの欧州連合の専門機関が置かれている。「ルゾフォニアの世界の首都」と呼ばれ、ポルトガル語諸国共同体の本部がペナフィエル伯宮殿に置かれている。ベレンの塔とジェロニモス修道院の2つはUNESCOの世界遺産に登録されている。さらに1994年、リスボンは欧州文化首都になり、1998年にはリスボン国際博覧会が開催された。

ロシオ広場

場所
ロシオ広場(ロシオひろば、Praça de Rossio)は、ポルトガル・リスボンにある広場。通称ペドロ4世広場(Praça de D. Pedro IV)の名前が広く知られている。バイシャ・ポンバリーナ地区にあり、中世からの歴史を持つ。かつては民衆の反乱や祝祭、闘牛、公開処刑が行われた。現在は、リスボン市民や観光客の好んで指定する待合い場所となっている。広場の通称は、ポルトガル王ペドロ4世であり、のちブラジル初代皇帝となったペドロ1世にちなんでいる。
ルート詳細

長さ

16.7 km

高さの変化

45 m

ステップ

24000
作成者:
Susanne.Bergermann
アプリで開く開く