ケネソー山の戦い(ケネソーさんのたたかい、英: Battle of Kennesaw Mountain)は、南北戦争アトランタ方面作戦中の1864年6月27日、ジョージア州コブ郡で行われた戦闘である。北軍ウィリアム・シャーマン少将が、南軍ジョセフ・ジョンストン将軍の指揮するテネシー軍に対して、最も苛烈な正面攻撃を掛けさせ、痛い敗北に終わった。1864年にシャーマンがアトランタ市に対して行った方面作戦は、当初からジョンストン軍の側面に回り込む操作が続いており、その操作の度に南軍の強力に防御された陣地から撤退を強いることとなったが、両軍とも大きな被害を出すことは無かった。そのような操作で2か月が過ぎ、70マイル (110 km) を移動して来た後、シャーマン軍の行く手はジョージア州マリエッタ市に近いケネソー山という強力な防御物で塞がれ、これまでの戦術とは異なる大規模な正面攻撃を行うという戦術を選んだ。ケネソー山の北端に対してジェイムズ・マクファーソン少将のテネシー軍が陽動行動を行い、一方、ジョン・A・ローガン少将の軍団がその南西隅にあるピジョンヒルを攻撃した。これと同時にジョージ・ヘンリー・トーマス少将のカンバーランド軍が南軍前線の中央にあるチーザムヒルに対して強力な攻撃を掛けた。この2つの攻撃とも多くの損失を出して撃退されたが、ジョン・マカリスター・スコフィールド少将のオハイオ軍が陽動行動を行って南軍の左翼を脅かすという戦略に成功した。南軍はケネソー山を捨てて、さらにアトランタ市に一歩近づく撤退を行い、しかもジョンストンはテネシー軍の指揮を外された。